不登校児や非行少年の親のカウンセリングも主な仕事なのだが、20年以上もやっていると、当時は中学生や高校生だった子どもたちが、今ではいわゆる「適齢期」になっている。しかし、結婚するという話をめったに聞かない。なぜなんだろう。 

 女の子については、社会的に自立もし、それなりに人生の設計がある人が多い。ところが、男の子たちは遅れていて、そういう女性の生き方をじゅうぶん理解できないで、むかしながらの「俺についてこい」式の、19世紀型家父長制丸出しの、「21世紀へようこそ」とでも言わなければならない認識しかもっていない。そこで、女の子たちは、結婚するとがんじがらめに縛られて、自分らしい生き方を奪われてしまいそうなので、男の子とは遊びでつきあうだけにしているのではないかな。親の話や本人の話を聞いていると、だいたいそんなことだろうと思う。 

 男の子の方は、両親や友だちの夫婦を見ていて、夫なり父親なりが、かなり面倒くさい仕事だということに恐れをなしている子が多いように思う。これはアドラー心理学を学んでいる家族だけの特性かもしれない。アドラー心理学を学ぶと、「夫婦関係は、庭のようなもので、たえず手入れしておかないと雑草が生えて、やがて枯れてしまう」というわけで、夫も妻も夫婦関係をいい状態に保つためにたえず努力する。一昔前の夫たちは、家へ帰れば寝っころがってTVを見ておればよかったのだが、アドラー心理学を学んでしまうとそうはいかなくなって、家事もするし、妻の相談にも乗るし、一緒に遊びに出たりもする。そういう父親を見ていると、男の子たちは、「面倒だなあ。あそこまでして結婚したくないな」と思ってしまうのかもしれない。しかし、手をかければ手をかけただけ、いいことがあるんだがね。 

 アドラー心理学を学んでいない家族の子どもたちについてどうなのだかは、私にはわからない。しかし、多かれ少なかれ、同じような状況があるのではないだろうか。すなわち、女性の自立が一方にあって、男性のほうは、昔ながらの権威主義者なので女性から嫌われてしまうか、あるいは民主的な夫にならなければと思うが、あまりの面倒くささに億劫になってしまうか。 

 

 

 

医師がADHDの診断書を書くのは、親や教師が求めるからだ。なぜ親や教師が求めるかというと、子どもが「病気」であれば、彼らは「免罪」されるからだ。子どもが病気でなければ、親や教師の「しつけ」が悪かったことになって、「劣等の位置」に立たされてしまう。子どもが病気であれば、親子ともに「かわいそうな被害者」になって、ある種の「優越の位置」に立つことができる。医師もそのことを知っているので、診断基準にあてはまっておれば、迷わず診断書を書く。診断書を書くと子どもは「脳病」であることにされてしまう。脳病であると診断されると、心理療法は無効で薬物療法しか効果がないと考えられるので、子どもは薬をのまされる。なんでもアメリカの全子どもの何割だかが薬をのませられているとか。恐ろしいことだ。 

 アドラー心理学の統一見解は、ADHDは脳病ではなくて、親のしつけが悪いのだと考えている。ところが、そういう論文を書いても、医学雑誌が採用してくれないのだそうだ。それはどうしてかと考えると、薬を売りたい製薬会社にとって具合が悪いからではないかと、フランクも言うし、アーシュラ・オバーストも言う。医学雑誌を見たことがない人が多いかもしれないけれど、総ページの半分近くの量が薬の広告だ。もし製薬会社の機嫌を損ねると、雑誌の経営に響く。それで投稿しても採用されないというわけだ。恐ろしい構造がある。 

 現代社会の構造の複雑さは、幸福になろうとする人類の努力の結果できあがったものだ。しかし、どうも、かえって人類を不幸にしている気もする。じゃあ、どこが間違っているのかというと、案外単純なのかもしれない。たとえばADHDということについて「優越・劣等ゲーム」の中で考えるのがいけないのだ。ADHD児自身がどう考えているかはともかくとして、その親は、「問題児」の親であることに劣等感をもつし、さらに子どもが「問題化」した理由が自分の育児が悪いということになると、さらに劣等感は大きくなる。劣等感を持つということは、逆に「健常児」の親が優越だと感じるということだ。実際に健常児の親が問題児の親に対して優越感を持っているかどうかとは関係なく、劣等感を持った人は、自分とは違うグループの人々が優越感を持っていると感じてしまうのだ。いわゆる健常児であれいわゆる問題児であれ、どちらが優れていてどちらが劣っているわけでもない。単に違っているだけだ。違っている子どもたちがどのように協力して暮らしていくかが、われわれの課題だ。違っている子どもを、薬物を使ってまで「普通の」子どもに変化させるのは、いい解決法ではない。 

 製薬会社がどんなに悪辣であっても、人々が「優越・劣等ゲーム」をやめると、ADHD問題は解決する。誤解されるといけないので書いておくが、私はADHD児をそのまま放置していいと言っているわけではない。しつけが悪くてADHDになっているのだから、ちゃんとしつけをしないといけないと考えている。ちゃんとしたしつけとはどんなものかというと、フランクが言うには、「限界を設定する」ということがもっとも重要なポイントだという。「どんなことでも許容する」育児は、子どもを社会生活に向けて準備しない。「していいこと」と「していけないこと」をきちんと区別できるように、子どもを育てなければならない。その点では伝統的な育児と同じなのだが、アドラー心理学が伝統的な育児と違うのは、賞罰を使わないで、結末の体験を含む「勇気づけ」を使うところだ。 

 これを「優越・劣等ゲーム」と関連して言うなら、ADHD児であれ健常児であれ、どんな子どももちゃんとしたしつけを受けるべきだ。それは人と人とを較べての優越とか劣等とは関係がなくて、ちゃんとしたしつけを受ければちゃんとした人間に育つし、ちゃんとしたしつけを受けなければちゃんとした人間に育たない。これは単純な事実だ。努力すれば努力した報いがあり、努力しなければ努力しなかった報いがある。「これあればかれあり、これなければかれなし」ということだ。このことをアドラー心理学では「平等 equality」という。こういう考え方が一般化すれば、製薬会社がつけこむ隙もなくなるだろう。 

 日本アドラー心理学会は、アドラー心理学の創始者アルフレッド ・アドラー から、アドラーの高弟のルドルフ・ドライカース、そしてバーナード ・シャル マン、そして野田俊作へと受け継がれてきたアドラー心理学を日本国内での啓 発を目的に作られた団体です。( 団体名:一般社団法人 日本アドラー心理学会  会長:中井亜由美  設立:1984年  会員数:約1,000名   理事:中井亜由美(会長) 大竹優子(学術・教育担当) 岡山恵実(広報・地方区担当) 樋沢律子(総務・経理担当) 事務局長:大塚裕子

  日本アドラー心理学会が認め、アドラー心理学を正しく伝承する自助グルー プが全国にあります。 自助グループは、メンバーの知識や実践経験を分かち合いながら、日々の暮 らしの諸問題(ライフタスク)を解決していく治療共同体です。メンバー全員 が学びあい、高め合うスタイルで運営しています。  日本アドラー心理学会は国際アドラー心理学会連合の日本で唯一の公認団体 として、演題の発表、最新の研究成果などの情報交換をしています。 ICASSI(ドライカースサマーセミナー)には日本からも多くの会員が参加し、海外 で学ぶアドレリアンと積極的に学び合っています。

 

 日本アドラー心理学会(Japanese Society of Adlerian Psychology)

 年3回発行の機関誌『アドレリアン』(1冊1500円)を会員は無料で読む ことができます。また過去に掲載された論文を学会ホームページからも読む ことができ、これらの活動を通して、アドラー心理学の普及、啓蒙活動に力 を入れております。 近年の『アドレリアン』の掲載記事  論文:死に行く人を勇気づける(通巻81号)  総会シンポジウム報告:保育とアドラー心理学(通巻81号)  総会シンポジウム報告:老いと死を勇気づける(通巻80号)  論文:「協力的な暮らし」ってなんだろう(通巻77号)  論文:エピソード分析のアルゴリズム(通巻76号)  論文:自閉症児へのアドラー心理学による支援教育について(通巻75号)   ※ホームページから総目次をご覧いただけます。 編集長:井原文子

 国際アドラー心理学会連合:International Association of Individual Psychology 

アドラー心理学ひとこと

 (野田俊作氏の『アドラー心理学トーキング・セミナー』に続いて『続トーキング・セミナー』が復刊されました。『性格は変えられる』『グループと瞑想』『劣等感と人間関係』『勇気づけの方法』の4冊に分かれています。加えて、『アドラー心理学でクラスはよみがえる』の可視化版も出版されました。ご自分でもぜひお買い求めいただきたいし、お友だちにもお勧めいただきたいのですが、図書館などに在庫するように頼んでいただけると、とても嬉しいです。(野田俊作氏著書より引用)

〔アドラー心理学とは〕

アドラー心理学は、オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラー (A.Adler)が創始し、その後継者たちが発展させた心理学の理論、思想と治療技法の体系です。

個人心理学(Individual Psychology)というのが正式名称ですが、個人心理学というと、個人を細かく分析したり個人のみに焦点を合わせるように誤解されやすいので、日本では、この名称はあまり使われません。

理論的な特徴としては、

  1. 人間を分割できない全体として把握し、理性と感情・意識と無意識などの対立を認めないこと(全体論)
  2. 行動の原因でなく目的を理解しようとすること(目的論)
  3. 客観事実よりも、客観事実に対する個人の主観的認知のシステムを重視すること(仮想論)
  4. 精神内界よりも個人とその相手役との対人関係を理解しようとすること(社会統合論)

などをあげることができます。

思想的な特徴としては、

  1. 他者を支配しないで生きる決心をすること
  2. 他者に関心を持って相手を援助しようとすること

などがあげられます。

治療技法としては、

  1. 現実的に達成可能な治療目標の一致をとること(目標の一致)
  2. クライエントの言うことの主として目的について推量をして、それをクライエントに確認をとること(解釈と推量)
  3. クライエント自身が自分の責任で解決しなければならない課題と、クライエントには責任がなく介入する権利がない課題とを区別すること(課題の分離)
  4. 目標達成のためのさまざまなアイディアを提供すること(代替案の提示)

などがあります。

アドラー心理学は、一般に理解されているように精神分析学の亜流や改変ではなく、むしろアンチテーゼといえ、さらに社会精神医学・自我心理学・人間学的心理学などの現代の心理学諸潮流の理論的先駆けであるともいわれています。

⓪「精神疾患は脳の病気か? 精科学向神薬のと虚構」  エリオット・S・ヴァレンスタイン著 功刀浩監訳     中塚公子訳 みすず書房(2008年発行)

 

①「精神療法」(Vol.40 No1)  特集「精神療法の未来」 pp38~41

 「アドラー心理学の現在と未来」野田俊作著

 

②BUDDHA is DEAD Nietzsche and Dawn of European Zen  

 Manu Bazzano

 

 3⃣Adlerian Psychotherapy    An Advanced Approach to Individual Psychology

 Ursula E.Oberst and Alan E.Stewart

 

 

以上は、「野田俊作の補正項」からの引用です。